新新・たまんにっき

文学と洋画、アニメ、漫画に萌えるインテリア大好き乙女の気まぐれ日記

アルカディア号は夜明けの艦……☆

もう「ウルヴァリン」はあきらめるしかないかも。
やっぱり観に行けなかった……未だ、劇場へ行けそうもないスケジュールと脳内ハーロック萌えです。困ったものだー。

土日なんてドコ吹く風でお仕事絶賛邁進中☆
実家から名古屋にやってきた元気な父のお世話で、明日は伊勢まで行ってきます。
父といるのは楽しいんだけど、DVDでハーロックを堪能することができないのがツライ。(笑)
仕方がないので、お仕事中に妄想してます。←コラ///

今作映画、腹立たしいことばかりですが、ムカつきながらもそれでも百歩譲って(なんで譲らねばならないのかもわからんが)、製作スタッフの意図を推測してみるに、もしかして、これ、原作漫画「宇宙戦艦デスシャドー」をパクろうとしたのかね??
たしかに、「宇宙戦艦デスシャドー」は、赤く染まってしまった地球に誰も侵入しないようにハーロックが守っているという物語です。もしかして、今作映画はこれを下敷きにしようとしたのかね??
この原作漫画のハーロックが乗っているデスシャドー号は、たしかに真っ黒で幽霊船みたいだけどね。

駄菓子菓子!!←久々だな、コレ。(笑)

たとえ「宇宙戦艦デスシャドー」のハーロックをパクりたかったにせよ、この漫画のハーロックは冷酷非情なところを見せるとはいえ、決して「幻影にすがって生きるしか……」なんて情けないことを吐くような男じゃないし、あまつさえ地球に爆弾落として全人類巻き添え自殺図るような愚か者でもありません!!

そして、もう一つ、ゆるがせに出来ない点がある。
つまり、「宇宙戦艦デスシャドー」のハーロック騎乗の艦は、あくまでデスシャドー号なのであって、アルカディア号ではないということだっ!!
ハーロックが乗っているからといって、デスシャドー号とアルカディア号とを混同する(故意に混同するのも含めて)なんて、ファンだったら許されない暴挙でしょ。

デスシャドー号が夜の艦なら、
アルカディア号は夜明けの艦なのだから……。

これは多少、私の主観も入ってますが(笑)、デスシャドー号は初期のハーロックの、まだ未完成な荒々しい野蛮なプロトタイプを象徴する夜の闇の艦だと思うんですよね。
でも、アルカディア号は、そうした野蛮な闇の時代を通り抜けて、より大きな器と精神力を持って現れてくるハーロックの姿を象徴する、夢と希望の艦であり、そういう意味では夜明けの艦と呼ぶにふさわしい透き通った明るさを帯びた艦なのだよ。

原作漫画でも1978年版アニメでも、アルカディア号を表す実に印象的なセリフを、ハーロックは台羽正に告げているではありませぬか。

ハーロック「この艦に乗る気になったら、いつでも迎えに行ってやる。たとえおまえがどこにいようと、命を賭けておまえを迎えに行ってやる」

このハーロックのセリフに胸を打たれた世代の人間は多いはず。
このセリフと、そしてあの横山さん作曲の交響組曲第一番の素晴らしい旋律が重なる時、アルカディア号はまさに紺碧の夜明けの空を押し渡って迎えに来てくれる艦として、力強くイメージされる……。
幼児〜子供の頃にハーロックアルカディア号に出会えた幸運な世代は、だから、いつの日かきっと自分のもとへもアルカディア号が迎えに来てくれるに違いないと、その夜明けを待とうと思ったことがあるはずだ。
私は未だに待ってるし!←かなりイタイよ!(笑)

今作映画は、このアルカディア号の夜明けの艦という象徴性を、安易にデスシャドー号の闇性と取り違えてしまったのやもしれぬ。。。
よもやパイレーツ・オブ・カリビアンなんぞと一緒にしたなんておバカな間違いじゃないよね!?(怒)
パイレーツ・オブ・カリビアンなんぞと一緒にされたと考えるよりかは、せめても製作スタッフが原作漫画「宇宙戦艦デスシャドー」を知っていて、それを誤ってアルカディア号と混同したと考えた方が、まだ救われるってものです。

夜明けの艦、迎えに来てくれる艦として、アルカディア号には存在していてもらいたい。
特に1978年版アニメのハーロックをリアルタイムで観ていた世代の、それは何物にも代え難い祈りなのですよ、製作スタッフさん。
その祈りを超克して新しいハーロック像とアルカディア号を描くというなら、現代の感性(?)に安易に落とし込むような貧しい発想力ではなく、デスシャドー号と混同するような初歩的なミスを犯さずに、もう一度、謙虚な気持ちで、一からハーロックアルカディア号の最大の魅力とはなんぞやという問題に真摯に向き合ってしかるべきだったのではないかと、私は心から思うのですよ。うーん。