新新・たまんにっき

文学と洋画、アニメ、漫画に萌えるインテリア大好き乙女の気まぐれ日記

宗方仁はジェダイか!?(笑)

ああ、東京でのお仕事も終わり、昨日の夜に名古屋に戻りました・・・がっ、またまた今週末は学会で再び東京へ帰省。
もう、ほんと、東海道新幹線のVIPにしてくれないかといった感じで、往復道中です。

ほいでもって、今週はずっとラボにお客さんを迎える予定だし、いろいろスケジュールがパンパン。うーん、がんばるどー。

で、ただいまお仕事の一環で、70年代の古典的名作『エースをねらえ!』を読み返しているのですが、

昔も今も、宗方仁コーチは最高ですね!!
名台詞、「男なら、女の成長をさまたげるような愛し方はするな!」が、最高に胸に響く///

そこで、ふと思ったのだけれど、旧共和国のジェダイ・コードって、宗方コーチの指導と同類のものではなかろうか?
何か一つの優れた仕事を達成しようとする者は、何かを捨て去らねばならない、という教え。

苦しんでおけ
精いっぱい苦しんでおけ
より高く飛ぶためには より低く身をかがめなければならない
だからいま 骨の髄まで苦しんでおけ

何かを得るための代償だ
じゅうぶんに支払え

素晴らしい。
なんでもかんでも、中途半端に手に入れて、そこそこの幸せで満足という態度とはかけ離れた、厳しく強く非情な人生への導き。
宗方コーチは、この信条をもって、岡ひろみに藤堂さんとの恋を現時点では諦めさせ、テニスへの精進を促したわけですが、
これって、ジェダイ・コードと通底したポリシーだと思うな。

エースをねらえ!」を筆頭とした70年代の精神論を、現代ではともすればアナクロニズムと貶めがちだけれど、そしてそういう批判もある点では当たっているところもあるけれど、実際に何事かを成し遂げようと決意した人生を生きている人は、きっとこの宗方コーチの指導に頷くところがあると思うなあ。
私自身が、そういう生き様を、ほんのわずかばかりかすった生き方をしているせいかもしれないけれど/// (まあ、私は捨て去ることに何の未練もないタイプの人間なのだが。笑)

私が「最後のジェダイ」の称号を与えることの出来るジェダイは、オビ=ワン・ケノービだけだと考える所以も、ここにある。
ルークも好きだけれど、ニュー・ジェダイ・オーダーは、「何かを得るための代償だ、じゅうぶんに支払え」という非情な姿勢が薄れてるんだよね。
よくも悪くも、
「お手々繋いで、みんな仲良し♪ 人生楽しもう♪」
という傾向が強い、ような。
人生楽しむのはもちろん大事で素晴らしいけれど、その反面では、こうした厳しく透徹した生き様を示す人間もいて――私は後者の生き様に感動を覚える質デス。

こういう生き様って、こないだ地上波でやった「天使と悪魔」のカトリック教義にも、少し似た様な考え方があってさ///
ユアン・マクレガーが、オビ=ワンとカメルレンゴを演じた役者であるってのは、或る意味、二つの役柄が同じような生き様の明暗を示すものとして、実に興味深いネ。

クワイ=ガンはタールを諦め、オビ=ワンはシーリとサティーンを諦めた。
2人共に、血の涙を流す様な思いをして切り捨てた、俗世の執着。
その代償に、この師弟は、ジェダイとしての仕事を信念と情熱を持ってやり抜いた――オビ=ワンに至っては、シーリよりもサティーンよりも恋し愛したアナキン・スカイウォーカーへの想いをも断ち切って!(涙)

フォースにバランスをもたらす者って・・・実はアナキンと同時にオビ=ワンのことも指していたんじゃないかな、なんて・・・///