新新・たまんにっき

文学と洋画、アニメ、漫画に萌えるインテリア大好き乙女の気まぐれ日記

お仕事三昧 & 「麒麟がくる」の折檻解釈

白浜旅行から帰ってから、少し雨模様の天気が続き、その一雨ごとに春が近づく気配がしてまして、本日の名古屋の気温は20度ですよ、奥さん!(疲)

いやあ、湿気も入ってきて、ちょっとダルイねえ。でも、湿気のおかげで、ノートPCの帯電による不具合が解消したのはありがたいですが。時々なるんですよ、バッテリーが帯電しちゃって、キーボードがうんともすんとも反応しなくなり、放電に三日くらいかかっちゃう事態がね。

で、本日は雨上がりの晴天なのですけども、風が凄まじく強いvvv 春一番じゃないの、コレ? でもがんばってお仕事です。午前中にいろいろノルマを片付け、アーカイヴで明智光秀関連本をまたもや借り出し、そして14:00~17:00までZOOMで研究会に参加。楽しかったけれど、数か月後には自分の発表が廻ってくるぜ、ひえええ///

さて、それでは少し落ち着いたので、「麒麟がくる」萌えトークいきまっしょい☆

今日も関連本を借り出したりして、いろいろ資料を渉猟して読んでいるわけですが、あの信長による光秀折檻のエピソードって、ほんとにほんとだったんかね?? だって、「信長公記」には全くその件に関しての記述ないじゃん? 先行研究が指摘するように、もし本当に折檻があったなら、信長の傍近くで物を見ていた太田牛一がそれを記さないはずはないと思うがね? 甫庵の「信長記」にも無いし。「兼見卿記」にも無いのよ。やっぱり秀吉の宣伝に徹した種々の「太閤記」関連の記述で創作されたんじゃないのかなあ?

でも、たしかに「信長公記」にいっさいその折檻シーンがないままで、いきなり「惟任日向守謀叛」となる記述を読むと、なぜそんなことになったのか、意味わからないよね。だから、折檻とかイジメとかいうわかりやすい話が後付けで作られたのかもしれない。

今日アーカイヴで借りだしてきた本の中に、矢田挿雲「太閤記」があるんですが、これはぐっと時代が下って近代の小説です。んで、この小説では、信長が光秀とどうしてもソリが合わなくて(つまり相性が悪くて)、どうしようもなく光秀を見ると嫌悪感でイジメたくなるという設定になっている。イジメられる光秀に同情的ではあるんだけど、故意に光秀を醜い小男に書いております。。。明快といえば明快な設定だけど、でも、これだと、じゃあなぜそんなに毛嫌いしている光秀を率先して重要な役目にたびたび任じているのかの説明がつかないんだよね。

私はね、史料を読んでいて思うのは、「麒麟~」の影響かもしれないが(笑)、やっぱり信長は光秀を愛していたんじゃないかなと/// この場合の愛は、まあ重用という意味に近いですが、そう考えないと、信長がこんなに明智を厚遇している理由が見つからない。最初の城持ちにしてやったり、それも安土に近い坂本に住まわせたり、京の馬揃えや家康の饗応役に指名したりさ。私は折檻エピソードは、後世の作り話だと思うなあ。

だからこそ、なぜそんなに愛されていた明智が本能寺を襲ったのかがわからない。いったい二人の間に何が起きたのか? そこにこそミステリー・ロマンがあって、現在に至るまで人々の関心を惹くのでしょう。

重用という意味での「愛」を掘り下げて、いわゆる「純愛」の意味に転換した「麒麟~」の脚本は、やっぱり凄いと思うよ。たとえ司馬遼太郎国盗り物語」という前例があるとはいえども。

ところで、その折檻エピソードの一つに、斉藤利三を勝手に自分の家臣にした光秀に怒って、信長が彼を打擲したという話がありますよね。史料では、信長が光秀に斉藤利三を元の主人(稲葉)に返せと命じたのに、利三は光秀がなだめすかしても頑として聞き入れず、光秀の許に居残ることを押し通したってんでしょ。あれもさ、「麒麟~」風に解釈すればさ、斉藤利三という剛の者が明智十兵衛の色気に惚れこんでさ、「明智様のお傍にいとうござる!」とか言っちゃったのを、信長がうっかり聞きこんじゃってさ、

「また性懲りもなく男をたらしこみおったか、十兵衛!!」(嫉妬怒)

ってわけで、ほら、信長様は嫉妬すると十兵衛本人にDVしちゃうからさ、それで、ビシバシ打擲するわ、髪を掴んで引きずるわという修羅場になったんでしょ///

麒麟がくる 第42回「離れゆく心」 (10ページ目) - Togetter

「おぬしはワシのもんじゃと、言うておろうがあああ!!」(ビシバシビシ)

・・・十兵衛、可哀想。駄菓子菓子、凄まじく萌えるのも確か!(笑)

あ、今夜は野村萬斎のクリスティー・ドラマだ。うーん、視聴に間に合うかなあ?