新新・たまんにっき

文学と洋画、アニメ、漫画に萌えるインテリア大好き乙女の気まぐれ日記

明智一族は美形の家系?

うーん、三寒四温が激しすぎるうううvvv おかげでまたもや変温動物の私としましては、眠気真っ盛りの時節となっております。昨日はせっかくの日曜日なのに、起きたら既に10時よ、奥さん! 嗚呼、午前中を失った。。。

さて、そんな春眠暁を覚えずな毎日ですが、張り切って「麒麟がくる」萌えトークいきまっしょい☆

先日はココで、信長による光秀折檻はなかったんじゃあるまいかという考えを吐露しましたが、本日は明智光秀って結局どんな外見だったんか、という点を考えてみましょう(笑)。いや、ほら、あんまりにも「麒麟~」の長谷川光秀が美しかったものですから――公式いわく、遅咲きの桔梗の花/// ですから!(素敵)

大河「麒麟がくる」脚本家・池端俊策氏 「光秀が死ぬシーンは書きたく ...

はあ、渋麗し///

そこでね、ちょっと古文献をパラパラしてみました。まず、各種『太閤記』の影響下にあって「憚り」が散見するとはいえ、一応光秀贔屓な『明智軍記』では、初めて光秀が信長に目通りした際、信長は光秀の「滑稽」な振る舞いに感じて家臣にしたとあるのね。この場合の「滑稽」は、現代語のユーモアがあるという意味ではなくて、弁が立つとか弁舌爽やかという意味です。卓越した外交官でもあった光秀への評価として適当でしょうね。

しかし、もっと外見を知りたいよ~~んというので、今度は『絵本太閤記』から。するとね、秀吉贔屓の太閤記本の系列にある『絵本太閤記』にしてからが、光秀をして智弁容貌衆に越えたる(弁舌も容貌も人並み以上に優れている)」(巻九)とか、「其骨柄尋常ならず、秀麗たる威風ある」(同上)とか言うておるのよね! 特に後者の引用は、信長が初めて光秀を見た時の印象を述べた文章ですからね、奥さん!! 全文を引用しますと、下記のとおり。↓

信長急ぎ光秀を召出し、其骨柄尋常ならず、秀麗たる威風あるを悦び、「今度の上洛三好誅伐の先手に加ふべし」と甚だ気色宜しかりければ、光秀恩を謝して欣びけり。

意訳しますと(笑)、初めて会った明智十兵衛光秀が、たいへん秀麗な佳人だったので、信長はたいそう喜んで愛でたということですね! 「甚だ気色宜しかりければ」ですわよ、奥さん! 初めて会った長谷川光秀が美人だったので、すっかり気に入って喜んじゃった染谷信長ってことっすね!

もっとも、『絵本太閤記』はあくまで秀吉贔屓なので、明智の秀麗さを描写した後に、「狼のように殺気を内に秘めた険悪なものを感じる」とかいった後付けが書かれるわけだけどもvv

そういえばフロイスの『日本史』でも、パトロンの信長を殺した奴という意識からか、光秀は悪く書かれているけれども、明智の子供達は「上品で王族のようだった」って言ってるわけで。

よく知られているように、明智たま(ガラシャ)は絶世の美人で、それで夫の細川忠興が嫉妬過剰だったと言われているしね。

もしかして、明智一族は美形の家系だったんじゃ?

なんとなくそんな気がしてきた(笑)。後世のことさらに醜悪な人物に書かれている描写は、やっぱり秀吉万歳の故の歪曲なのかもしれん。織田家臣団の中でもツートップの出世頭だった光秀と秀吉。結果的に勝者となった秀吉が、自身のコンプレックスから敗者の光秀をことさらに貶めて書かせるように圧をかけたのかもしれんて。

そんなことをあれやこれや考えるのは楽しいもんです♪ ってなことで、私は明日、弾丸超特急日帰りで、比叡山坂本に行ってこようかと考えております!(爆) 調べたら、比叡山坂本って、名古屋から1時間半くらいで行けちゃうんだよ。近っvvv

西教寺坂本城址を見て回りたい。本当は三井寺にも寄りたいんだけど、そうすると一泊旅行になるしなあ。私は今週末、また鳥羽へ一泊出張を控えているので、その前に比叡山坂本でも一泊となると、ちょっと体力的にキツイかも。うーん、どうしようかなあ?

とか思ってたら、なんと、福知山市が「麒麟がくる」番外編実現への署名活動を開始とな! ワハハハ、行政ぐるみでか、すんごい///