新新・たまんにっき

文学と洋画、アニメ、漫画に萌えるインテリア大好き乙女の気まぐれ日記

『信長公記』に秀十のバディ描写(違)

すげえ。笑っちゃうくらいに、めちゃめちゃ忙しい(呆)。。。降れば土砂降りということわざどおり、今日一日で、仕事が一気に4本舞い込んできたあああ! ありがたいけれど、大変だあああ! どれもこれも締め切りが近いいいいいvvv

駄菓子菓子、寸暇を惜しんで萌えトークもするぜ☆ これぞオタクの鏡(笑)。

ほんの一言感想だけですが、『信長公記』の次の箇所に今更ながら秀十萌えしたので、ちらっとだけ現代語訳でご紹介。巻8の天正3年8月15日の加賀・越前の一揆攻めの時、

敵方からは、円強寺と若林長門父子の軍勢が出撃してきた。これを明智光秀羽柴秀吉の二部隊が、ものの数ともせずに追い崩し、二、三百人を討ち取った。さらに、円強寺・若林の城へ攻め込んで、焼き払った。討ち取った敵の首は、八月十五日のうちに敦賀の信長の本陣へ送り、実検に供した。

八月十五日の夜、府中竜門寺の三宅権丞が立て籠る砦に忍び込み、これを乗っ取り、付近を焼き払った。木目峠・鉢伏・今城・火熨城に布陣していた敵は、焼き討ちに追い立てられて動転し、府中を目指して退却した。羽柴秀吉明智光秀の二部隊はこれを追撃し、府中の町で加賀・越前両国の一揆勢二千余人を切り捨てた。手柄は言うまでもない。

やっぱり、秀十のバディ関係、史実としてあったのだなと、再確認できる箇所でありますね☆

さて、今夜はこれから、もう一本、校正原稿の見直しというノルマがああ/// 何時くらいに眠れるだろうか。。。

しかして、明日は朝一から夜までビッシリなスケジュール。しかもお昼の時間すら会議で、たぶん食事をとる暇がない。。。うーん、大丈夫かしらん?(ダメそうvvv) えーんえーん、靴の小人さん、へるぷみー。