鳥羽出張から無事に帰還しました~♪ 13日の午前中は、凄い大雨で、9:37発のJRみえの鳥羽行き乗車を予定してたのに、急遽列車が伊勢市止まりになってしまいvvv でも、伊勢市で近鉄に振り替え輸送してくれて、問題なく11:30には鳥羽駅に到着しました。
早速腹ごしらえで、いつもの駅ビルの喫茶店で軽食。私は食欲が無かったので、お気に入りのフルーツパフェのみ。ビジネス・パートナーは元気にカキフライ定食を食べてました(笑)。
鳥羽に来ると必ず私が食べるフルーツパフェ、今回も健在! 相変わらず重量たっぷり、みごとな盛りパフェです。
さて、そうしてから13:00~15:00まで、みなと町文学館でひたすら資料のデジタル撮影に勤しみました。貴重な聞き取り帳やスケッチブックの撮影で、ちょっと興奮しちゃったな♪
順調にこの日のノルマは過ぎたので、お宿にチェックイン。今回の宿は「海月(かいげつ)」という、駅と文学館の中程に位置する便利なお宿。朝食のみの一泊で予約したので、夕飯は外で食べることに。まずは、駅前の小店が立ち並んでいるところの一軒に入ります。
アワビだよ!! 肝も一緒に!! ビールと一緒に食べる焼きアワビは最高だね♪
続いては、大ぶりの牡蠣!! 答志島産だよ!! ぷっくりジューシーな焼き牡蠣、これまた最高♪
貝を堪能した後は、河岸を替えまして、これまた常連のイタリアン・レストランへ。
先回来た時注文して、大のお気に入りになった、リンゴとチーズのピザ!! それに白ワイン!!
デザートは、アイスクリームとシャーベット。それにカフェ・ラテ/// いやあ、お洒落なシメでございまする~///
そして、一夜明けました14日は、昨日の雨はどこへやら、快晴となりました。お宿の朝ご飯はこちら。↓
ザ・日本の朝ご飯☆ ってな感じですね~♪ バランスの良い、和食献立。ご飯は御櫃にたっぷりです。
伊勢エビの赤だしのお味噌汁もついてきた!! 朝はやっぱり赤だしが美味しいねえ。二日酔いにもバッチリさ(笑)。
しっかり腹ごしらえしてから、10:00~15:00にかけて再び文学館で資料のデジタル撮影。滞りなく終了して、ホッと一息。これで、夏まで鳥羽出張はひとまず小休止。夏までに、撮影したデジタル資料の解読に勤しむことになります。
荷物を取りまとめて文学館を退去し、打ち上げで、再び駅前の小店に向かいまして、昼間から日本酒を(笑)。
どんだけ貝を食うんだよ!!(笑) って感じっすね~。サザエ、大好き/// 日本酒、最高に五臓六腑に染み渡る///
ってなことで、出張も無事に終了しましたので、またまた「麒麟がくる」萌えトークいきまっしょい。萌えトークっつか、明智光秀考察というか、なんですが。
先日紹介した、『明智光秀と斉藤利三』を読了したんだけど、うーん、ちょっとこの本の内容には納得できないかもなあ。四国問題を本能寺の変の要因に置くのはわかるとしても、信長による折檻シーンの有り無しを、フロイス「日本史」と「稲葉家譜」、それに「政春古兵談」の記述で確定とするのは、どうかなあ?
密室で行われたとフロイスが言うところの、信長による光秀折檻が、もし本当だったとして、私はやっぱり「信長公記」がそれを記してないのはおかしいと思うんだよね。。。フロイスでさえ知り得た情報を、太田牛一が知らないはずはないだろうし、それだったら「信長公記」に記載されると思うんだけど。。。私の素人考えなのかなあ?
それに、「稲葉家譜」における光秀折檻の記述って、そんなに信頼できるものなのか? 場所も年月も記載なく、しかも史料の信頼性を高めているとされる堀秀政の書状では光秀と利三についての沙汰の記述がないんでしょ? うーん。
それと、新資料として紹介されてる「政春古兵談」ね、これって結局、伝聞でしょ? なんか怪しいなあ?vv
それと、例の「当代記」における「この内蔵介(※斉藤利三)は信長勘当の者なりしを、近年明知隠して抱え置く」という記述を『明智光秀と斉藤利三』は引用しているわけだが、そもそも信長が光秀を折檻してまで勘当した利三を、それでも光秀が「隠し抱え置く」なんてことは可能だったんですかね?? 四国問題の折衝には、明智と長宗我部の間を斉藤利三が繋いでていたことくらい、信長は承知していたであろうに。だいたい、この「当代記」は明智の年齢を67歳に比定する史料なんですが、私はやっぱり55歳か57歳とみたほうがいいんでないかと考える者であります。
うーむ、わからないことだらけだ。とりあえず、「当代記」を一度確認しておく必要がある。アーカイヴを検索したら、おお、「当代記」もちゃんとあった♪ 早速借りてこようっと。
それでも、先日、比叡山坂本に行って現地を体感してきた身としては、本能寺の変の動機の一つに、この地を追われて遠方へ国替えになることへの恐怖が、明智の心にあったかもしれないという想いは強くなったかも。実際に国替えの沙汰は信長から出ていなかったとはいえ、そうなる危惧を感じざるを得なかった明智が、どれほどこの坂本の街を離れがたく思ったかは、あの優美で明るく情緒のある比叡山坂本の風光を体感するとよくわかる。本当に美しい街だったもの/// 今でさえそうなんだから、国の中心「天下」だったころの時代には、もっとその優美な風光が愛でられていたに違いない。
明智の悲劇は、信長の寵愛を信じきれなくなった心境にあるのかもしれないね。。。信長に愛されていることを信じきれていれば・・・。だって、いろいろ怪しい(笑)「当代記」でさえ、甲州攻めの際に信長は明智を労わって声をかけたと書いてるじゃないの。それでも、信長の自分への愛を信頼しきれなかったのか。。。まあ、それも無理はないと思わせるような信長の性格だったかもしれないが。。。
明智光秀を知るには、たぶん、織田信長という男についてもっと知らないといけないんだなと、この頃考えるようになりましたvv 素人チャンですvv
まあ、史実はさておき、「麒麟がくる」の信長と十兵衛は、ちょうどその反対。信長がもっと十兵衛の愛を信じてさえいれば、と思わせるところがミソですわな///
しっかし、この苦悩して手を顔に当てる十兵衛、マジ色っぽい///
可哀想なんだけど、「いいぞ、もっと苦悩して~~!」とか思っちゃう(笑)。信長への愛を彼も自覚していたが故の、この仕草だと私は確信する!!(きっぱり) 父性も感じさせる、なんとも言えない演技ですね、長谷川十兵衛、秀逸!