新新・たまんにっき

文学と洋画、アニメ、漫画に萌えるインテリア大好き乙女の気まぐれ日記

坂本の戦利品 & 「惟任退治記」と十兵衛へのプロポーズ各種

今日は晴天なれども風強し。週末はちょっと雨模様なのかな、鳥羽出張がじゃっかん心配です。昨日の弾丸ツアーは楽しかったな、と、余韻に浸りながら、本日はラボでお仕事してました。

それでは、昨日の戦利品をご紹介しま~~す☆

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寺院のパンフレット数々、桔梗紋のリングノート、西教寺と滋賀院門跡の御朱印、それに明智光秀顕彰会発行の会誌「桔梗」の合冊本。「桔梗」の合冊本は西教寺の受付で売ってました。こういう会誌冊子の類は、見つけた時に入手しておかないと、後で後悔するからね。私は歴史学の人間ではなく文学の人間なので、史実も関心はあれど、それ以上に、地元の人々が明智光秀についてどういう感情を抱いているのかについての証言に興味がある。光秀像のイメージ変遷は実に興味深い。

ところで、『続群書類従』弐拾輯下に収録された「惟任退治記」を読んでも、やっぱり明智の謀叛の理由はわからんのよね。ただ唐突に「併非当座之存念。年来逆意。(今ここで思いついたことではなく、以前より謀叛の心があった)」って書いてるだけで。で、話はすぐに愛宕百韻に飛ぶんだよ。やっぱり当時でも明智の謀叛の真意はわからなかったんじゃないの?

ほいでもって、「惟任退治記」では、光秀が討たれる場面の記述はなく、次のような記述で光秀の死を語っています。↓

其夜前後追懸惟任者多之。霜雨頻。敵味方不知其差別。山科醍醐相坂。又吉田白河山中。其辺於方方。打取来首不知数。秀吉其翌日至三井寺着陣。一日成逗留。及坂本行。又従諸口打捕来首。悉点検之處。其中有惟任首。秀吉日比本望。

(その夜前後から光秀を追う者多く、折から霜雨も激しかったため、敵味方の区別もつかないほどだった。山科醍醐、または吉田白河山中、そのあたり方々から、打ち取られた首が数え切れないほど集まった。秀吉は翌日に三井寺に陣を敷いた。一日逗留し、また坂本へ行く。方々から打ち取られた首が届けられた。その中に、光秀の首があった。秀吉はこれを見て本望と悦んだ。)

不審ではあるな。明智の軍勢は各方面に散り散りになって逃げていて、方々各所から数え切れない首が届けられ、その中から一つを選びだしたというわけなんだが、点検したのって、誰? ってか、実際問題、雨に打たれて崩れた大量の首を悉く点検するなんてこと、できたのかなあ?

不審と言えば、いくら秀吉軍や落ち武者狩の手が迫っていたとはいえ、あの明智家臣団が主君の首をそのへんの溝に放り出して逃げたという巷説(?)は、どうなんだろう? にわかには信じられない。苦肉の説といった感じもしなくはないよね。

いやあ、ほんと面白い、興味深いね、本能寺の変は☆

でもって、私は今手元に「麒麟がくる」第弐集のブルーレイが届いているので、このあいだからのんびり観ているんですが、長谷川十兵衛の男遍歴(笑)は、ほんとただ事ではない!vv これは染谷信長が嫉妬するのも、わからんでもない気がする。

斉藤高政が、やっぱ最初のお相手なのかなあ?vv 高政の十兵衛への想いも切なかったよね~。幼馴染という強力な設定なのに、一言の許に十兵衛にフラレる高政、かわいそう。高政の「俺と一緒に来い! 断れば斬る!」は、信長様の「二人でお茶を~」に比肩する究極のプロポーズでした。十兵衛を斬る気なんて、はなから無いのにね(涙)。

大河ドラマ衣装、目がチカチカ? 担当「考証に基づく」:朝日新聞デジタル

次がやはり足利義輝様か。わざわざ越前から京へ呼びだされて、一緒に能を鑑賞した後、三渕や細川から「今夜、義輝様が十兵衛殿と話をしたいとご所望じゃ」と告げられるあたり、「今夜!?」とか反応しちゃう///(笑) ここらへん、どうなんですかね、巷では?(喜々)

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十兵衛が唯一、プロポーズに応えようとした相手、それが義輝様だったのに。。。
でもって、それから信長様でしょ。続けて、斉藤利三でしょ。義昭でしょ。家康でしょ。ここに細川藤孝松永久秀まで入れたら、もう、

十兵衛、この節操無し!!(折檻)

って感、まあ、あるわな。