新新・たまんにっき

文学と洋画、アニメ、漫画に萌えるインテリア大好き乙女の気まぐれ日記

麒麟が去った・・・(啼泣) & 信長のプロポーズは史実?(爆)

本日12時過ぎをもって、「麒麟がくる」の公式HPが閉じましたね。。。

麒麟が去った・・・

遅咲きの桔梗の花が・・・(啼泣)

駄菓子菓子、公式で長谷川十兵衛が「see you」ですからね! あきらめませぬ! 必ずやまたお会いできると信じておりまするううう!! それまでは、今月末のブルーレイ第参集と、6月末の総集編の円盤で、乗り切るのじゃ!

ということで、今日も元気に麒麟を買うてきましたぞ(笑)。

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♪大きい麒麟は十兵衛様~、小さい麒麟は信長様よ~♪

鯉のぼりの歌でどうぞ、なんてね。しっかし、ほんと、このクラフトビール、個人的にはすごく飲みやすくてヤバイ。私はどうも、あっさりドライ系のビールは苦手らしく、どちらかといえば濃いめの味の方が好きなんですわ。といって、単に苦ければいいということでもありません。そういう意味では、このスプリングバレーはかなり好みのタイプですね。さすが十兵衛様が宣伝なさるだけはある(笑)。

んでもって、スプリングバレーをぐびぐび飲みながら、さっきまでEテレクラシック音楽番組を見てたら、今井翼氏が出演してて、いきなり「麒麟がくる」の桶狭間のシーンが流れてビックリしたvv うれしかったけども。

ところで、忙しい新年度のお仕事の合間を縫って、またもや収集した明智関連本の読書をしておりまして。こないだは、こんなの買った///

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左端の岩波文庫は既にこの前買ったやつです。右端の文庫は、以前買ったものの改訂版だというので改めて購入。真ん中のムック本は、これはね、けっこうお買い得だった。学説の最前線をわかりやすくカラー図版でコンパクトにまとめてあるし、史料の説明も過不足ない。それに、巻頭になぜか染谷信長のカラー見開きの特集が///

染谷氏のみごとな信長解釈は、このムック本でも健在で、「恐ろしい喜び方をする信長」という表現がよかったです♪ そう、麒麟の信長は、悪気はなくピュアなんだけど、それだけにリアルに恐ろしいんだよ。

ほいでもって、下の画像は、一次史料集2冊とアーカイヴから借り出してきた『大日本史料』です。

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この『大日本史料』の第十一編之一が、本能寺の変を扱っておりまして、信長や光秀に関する文献が多々掲載されているんですよん。これからボチボチ読みますわ。

んで、左の『明智光秀 資料で読む戦国史』は既に読了しているので、今日は右の『本能寺の変 資料で読む戦国史』の方を読みましたところ、気になる点が。

この本では、信長が天正八年以降、西国支配構想を抱いていたとして、その中核を大阪城に位置づけ、そこに丹羽長秀と織田信澄を置いたことを指摘しているんです。信長が、ゆくゆくは天下支配の中心地を大阪に置こうと考えていたらしいという見解は、他の先行研究でも指摘されていることなんですがね。

で、光秀は、こうした織田の一門衆で天下を治めんとする信長の構想のために排除されて、石見方面へ左遷される恐れを懸念して謀反したと、この本は主張しているわけなんですが――でも、ちょっと待って。

織田信澄って、光秀の娘婿じゃんか?

織田信澄って信長の息子じゃなくて甥(信長の弟・信行の子)なんだよね。しかも信長自身が殺した弟の遺児。信長自身の子供じゃなくて、なぜ甥の信澄をゆくゆくは天下の中核となる大事な大阪城の主に据えたのか?

さあ、ここからは素人チャンの考えによる盛大な妄想でございますが(笑)、もしかしたら信長は、光秀の娘婿である信澄を大阪城に据えれば、舅である光秀も大阪に住まわせることができる――自分の傍に置けると考えたのだったりして? 天下を静謐させて信長も光秀も隠居した後は、信長にとっては甥であり光秀にとっては娘婿である信澄の城で、本当に、本っ当に、

二人で茶でも飲んで暮らさないか?///

2月14日 麒麟がくるで『信長』が話題に!(32ページ目) - トレンドアットTV

という心づもりだったのではないの、信長様ああああ!! どうなの、そこんとこ、どうなのよ!?

だって、「当代記」の記述も以前ココで紹介したように、信長はいつでも明智を自身の傍に泊めていたって言うじゃない? それに光秀だって、もう秀満に福知山城を治めさせていたし、彼に家督を譲って隠居してもいい塩梅ではあったかも。光秀は近畿から遠地へ国替えさせられるって思ったのかもしれないけれど、それは間違いで、本当は信長様は光秀と一緒に自分も隠居して、縁戚である信澄が治める大阪城で、二人で穏やかに暮らそうと考えていたのかもしれない??

なんてね~。すべては妄想に過ぎないわけですが、でもなんだかこうして史料を次々読んでいくと、私はね、やっぱり信長は結局最後まで明智十兵衛のことが好きだったのではないかと、「麒麟がくる」の解釈は実はかなり真実を突いていたのではないかと、そう思えてきて仕方がないのですが、どうなんでしょうねえ?

ほら、エルキュール・ポアロも言っているじゃない? 殺された被害者がどういう人物であったかを知らなければ、事件の謎は解けないものだと。本能寺の変は、従来、明智がどういう人間でどういう心理状態だったかに焦点をあてて考察されることが多かったったけれど、殺された信長がどういう人間で明智のことをどう思っていたかをもっと掘り下げて考察するべきなのかもしれないね?