いつのまにか名古屋に戻っている私ですが(笑)、昨日は東京から急遽、本格ミ○テリクラブのお仲間が愛知トリエンナーレ見学でいらっしゃって、お夕飯をご一緒しました♪
ハーロック事件(事件なんだ。笑)でノイローゼ気味になっていたところだったので、ちょうどよい気分転換になりました。
名古屋飯を食べたいとおっしゃるので、ひつまぶし☆ 栄にある「いば昇」という老舗店へ直行です。
注文を取りに来たおばさんが、私の顔を見て、
「食べ方の説明は……いらないねvv」
と、のたまった。やばい、面が割れている!!(笑)
しょっちゅう利用してるからなあ。
いっぱいおしゃべりして、河岸を変えてお茶したりもしてから、9時半にお別れ。
ああ、楽しかったー。
ということで、本日はお仕事デーなのですが、その合間に、気力回復でまたまたハーロック事件に関して述べまくりますうううう!!←やはり怒りが収まらないようだvv
今作の映画、ほんとにいったいどうしたらハーロックがこんな解釈のキャラになるんだね……と怒りと同時に不思議にも思いながら、昨夜、相も変わらず1978年版アニメを見返していたんですが、そこでふと考えついた。
製作スタッフのやつら、もしかして、勉強し直してないだろ?
こんな事態になった原因は、それしか考えられない。
映画製作が決定してから、これまでのハーロック関連作品を再読および再視聴していないに違いない。
先日もこのブログに書いたように、キャプテン・ハーロックといえば、「寡黙で、カッコヨクて、無表情で、完璧、だったような気がする」という、なんとなくなイメージが普及してしまっているものだから、そうした思いこみイメージだけで企画を練ったがために、ハーロックの一番の魅力がなんであるかの厳密な検討もなされず、思いこみイメージに対するアンチテーゼという、実に乱暴な出発をしてしまったのではなかろうか。
もし、製作スタッフ(特に脚本家だよ、オイ!)が、原作漫画や1978年版アニメを初めとする従来のハーロック作品を謙虚にもう一度見直して勉強し直していたら、ハーロックの人間的魅力=優しい微笑や前向きな姿勢、深い愛情と思いやり、意外に朗らかな言動など、確認し得たはずだ。
いいとこ、劇場版「999」くらいだろ、見返したとしたら。劇場版「999」のハーロックは確かに最高にカッコイイし有名だけど、あの映画にはハーロックのアルカディア号への愛着とクルー達への思いやり、地球への優しい愛などをうかがうには、ゲスト出演だけにちょっと厳しいんだよね。
賭けてもいい、こいつら、絶対、勉強してない!!
「時間がない」なんて言い訳にはならんよ。「キャプテン・ハーロック」なんていう知名度のあるキャラクターをリメイクする企画なんだから、きちんと勉強し直す必要があるのは自明のことだと想うが、違うかね?
徹夜してでも勉強し直すのが、リメイクする際の最低限の礼儀だべ!!
それすらもなしえないで、自分のぼんやりとした記憶の中のハーロック像だけで判断して、あまつさえそれに対するアンチテーゼを打ち出すって、どうしてそんな乱暴で無礼なことができるかね??
もちろん、勉強して無いというのは当方の勝手な憶測ですけどもね。でも、ちゃんと勉強し直してあのハーロック解釈となると……もう救いようがないからねー。(笑)
ハーロックの半分は、優しさで出来てるんです!!(きっぱり)
まゆちゃんのためにオカリナを一生懸命作ってあげるハーロック、
地球のためにたった一隻での戦艦でマゾーンの大キャラバンに戦いを挑むハーロックの深い愛と勇気、
その割に、マゾーンの女王ラフレシアに脅かされて悪夢を見ちゃってミーメに起こされることもあるハーロックの人間臭さ、
敵であっても敬意を払い見逃すこともあるハーロック、
徹夜続きの戦闘で気絶したヤッタラン副長をお姫様抱っこしてキャプテン席へ運び心配そうに側についていてくれる優しいハーロック、
アルカディア号を巡回して廊下で将棋盤さしているクルーに近寄り駒を動かしちゃうお茶目なハーロック、
怯える台羽正のために絶体絶命ピンチの場で子守歌を歌ってやるハーロックのダンディズム、
降り立った惑星でお花摘みもしちゃう乙女なハーロック(笑)、
思慮深いが割と体当たりや中央突破も大好きな暴れん坊のハーロック、
動物と子供と「わが友」が大大大好きなハーロック、
こんな人間的魅力いっぱいのハーロックの多面性を、今作の映画スタッフはいっさい知らないでいたに違いない。
ハーロックといえば、完璧な大人で若者を導くという昭和のアナクロニズムヒーローの典型としか思っていなかっただろ、ァア!?(怒)
一般の人はそれでもいいよ。だけど、これからリメイクしますってスタッフだったら、ちゃんとお浚いしておけよっ、その上で「新しいハーロック像とは?」と考えるのがスジだろが。
強くなければ生きられない。
優しくなければ生きている資格はない。
フィリップ・マーロウの警句ですが、これって、そのまんまハーロックのキャラクター像に直結すると思うんだわ。
現代ふうにハーロックを解釈しなおしたいという欲求は理解できないこともないが(でも、それだったらオリキャラでやれって思うけどね、本音はね)、それでも外してはならないキャラの真髄があるのは当然でしょう。そのキャラ研究をろくにしないで造ると、こうなりますって典型だな、今回の映画は。
残念です、非常に残念。。。
だからオタク作品のリメイクはオタクに任せた方がいいんだって!(一概には言えんだろうけども……笑)