新新・たまんにっき

文学と洋画、アニメ、漫画に萌えるインテリア大好き乙女の気まぐれ日記

「麒麟がくる」最終回の再放送待機! & エロスとしての折檻シーン

今日は地上波での、「麒麟がくる」最終回の再放送ですねえ。感慨無量で腑抜けになる前に、ココに来てます(笑)。は~、ドキドキするうう///(なぜ?)

ところで、昨日アーカイヴから借りだした岩波文庫明智光秀』、早速読了しました。つまり、明治に入って、それまで逆臣扱いだった明智光秀の再評価機運が、ある程度高まったのか。卑怯者という評から、智将イメージへと、転換の萌芽が見られたらしい。これはたぶん、織田信長評の転換とリンクした状況なんだろうね。

駄菓子菓子、その割には現代において、まだ明智光秀が逆臣・裏切り者というイメージが一般的なのはどうしたこった? もしかして、その理由は・・・

太平洋戦争か・・・?

戦時下の封建主義の再来によって、主君討ちの明智光秀評が再び元に戻ったのかもしれん。そして、敗戦となって迎えた戦後にも、その明智のイメージは覆されることを忘却されたまま、今日まで続いていたのかもしれませんね。

改めて明智光秀ゆかりの地について資料を読んでると、各地方において光秀を祀った神社仏閣、供養塔の数がけっこう多いことに驚きます。ということは、つまり、読本・講談の類で光秀を逆臣イメージで捉えたままの江戸界隈に比して、各地方ではもっと明智光秀は敬慕される対象人物だったということか。

考えてみれば、江戸幕府は絶対封建社会を300年維持するにあたって、庶民の不満の捌け口として、幕府関係者を風刺した芝居や伝承などは黙認することもかなりしていたわけで。千姫の吉田御殿の伝承とかね。とすれば、たとえ光秀が天海になっていたとしても(笑)、明智光秀を逆臣扱いするネタは、封建社会構造維持には有効ですから、むしろ奨励していたのかも?vv

なんてねえ~。いろいろ夢想すると楽しいですね♪

さって、それでは、オベンキョのお話は本日はこのあたりにして、萌えトークいきましょう☆

ネットで素敵にロマンティックな「麒麟がくる」記事がUPされてますね♪。↓

長谷川博己と染谷将太は“父と子”のようだった 愛の物語としての『麒麟がくる』|Real Sound|リアルサウンド 映画部

父と子かどうかはともかく、「麒麟がくる」における長谷川光秀が水で染谷信長が火という属性解釈は、実にロマンティックでユング的だね。私は十兵衛は風のような気がしないでもないけれど、器によって形を変える水という捉え方も素敵///

私は個人的に、海からの信長登場のシーンは、折口信夫だなと感じましたが、いかがでしょうか? これはニライカナイでしょう、明らかに。この時点で、ああ、十兵衛にとって信長は来訪神なのかと思ったよ。

麒麟がくる】染谷将太、信長の初登場シーンに起きた「奇跡」 | ORICON NEWS

しかし、来訪神の恐ろしいところは、それが福の神であるのか災いの神であるのかは、受け入れてみないとわからないという点にある。十兵衛は受け入れた当時は、この来訪神=信長が福の神=麒麟だと信じていた。けれども、徐々にその確信が揺らぎ、やがて来訪神は災いの神の側面を見せ始める――といった物語構成でしょうか。実に折口民俗学的であり、今回の「麒麟がくる」が非常に文学的に思えるのも、この構成が要因の一つだと思う也。

そして、災いの神となった来訪神は、火で焼いて追放=浄化する。お焚き上げ、どんど焼きですかな(爆)。そして、新しい年が始まる――これが大河ドラマとしての「麒麟がくる」の基調にある、歳時記ストーリーだったのでは?

と、真面目っぽい話題はここまでで、ここでいきなり腐った方向へ曲がりますが(再放送の時間が迫ってきて焦ってる。笑)、信長と十兵衛の関係が一触即発のヤバさになったのがはっきりわかるのは、信長が初めて扇で十兵衛を殴りつけたDV場面ですよね?

麒麟がくる:光秀“殴打”の信長の心情は? 「不安からくる怒り」「暴走 ...

例の、「申せ! 申せえええ!」のシーンね。この場面、執拗に十兵衛を折檻した後、思わずばったり扇を落として、「なんでこうなる?」と呆然と呟く染谷信長が名演技なんですが、本当にこのシーンはエロティシズム溢れる/// 大河ドラマ史上、有数のエロティシズム・シーンですよ!(断言)

なぜこのシーンがエロいかといえば、DV男の心理としては、おそらく、信長は十兵衛を打擲することによって初めて、暴力が引き起こす官能の虜になってしまったのではないか、と!

大好きな十兵衛を殴り傷つけてしまったことへの激しい罪悪感もさることながら、その罪悪感の影から顔を覗かせる、どうしようもない官能的な満足感。愛する対象を痛めつけることが愛撫の代理になってしまう、まさにDVの心理の虜になってしまったのでは? だから、家康饗応の場面でも、そこまでしなくてもよいものを故意に十兵衛を殴り蹴るわけで、あの暴力は、家康の前で十兵衛を愛撫している行為となんら変わらない、強烈なエロティシズムの発露なのですよ、奥さん!!

昨日に引き続き、私は何をこんなに熱く語っているのでせうか?(笑)

いやあ、はたして家康はあの暴力の意味を理解できただろうか? 理解できずとも、なんとなく十兵衛の身に不安を感じて、それで菊丸を付けたんだろうけど。おそらく、あの場で染谷信長のあの行為の真の意味を悟ったのは、佐々木秀吉と森蘭丸のみだろうと妄想する! 当の信長自身、自覚はしてないだろうからvv

そして、「秀吉→十兵衛」の闇ネタが降臨するのであったvvv

・・・ってか、あの饗応の場に佐々木秀吉、いたっけか??