新新・たまんにっき

文学と洋画、アニメ、漫画に萌えるインテリア大好き乙女の気まぐれ日記

光秀関連本いろいろ♪ & ガラシャのドラマでカメオ出演は嫌! & 『ヒットラー・ユーゲント』下巻

愛の最終回効果で(笑)、やはり今週末は、どこの大河ドラマ館も激混みのようで、めでたいですな♪ 私は人混みが苦手なので、平日に行っておいてよかったけれども。亀岡や坂本にも行ってみたいのだが、大河ドラマ館終了後になりそうだ。西教寺に行ってみたいし、なんなら雄琴温泉坂本城三井寺という琵琶湖沿岸コースを考えてみようかしらん。雄琴温泉って、実は行ったことがないんですよね~。

そんな私は、明日の「麒麟がくる」最終回再放送を前にして、いろいろ光秀関連本を読み漁ろうとしております。「T-34」の時もそうなんだけど、ある程度の知識を仕入れてからでないと、ブツが書けないタイプなもので。

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職場のアーカイヴで借りてきた♪ まずはこんなところから。『信長公記』は改訂版がラボのどこかにあるはずなんだが、例によって発掘できず(爆)、仕方なく古典文庫バージョンをアーカイブから借り出した。『明智軍記』はアーカイヴにないようだったので、ネットで注文しました。『明智軍記』は資料としては使えなさそうだが、興味あるじゃんね。『絵本太閤記』はKindle版でタダで読めるからいいとして、『絵本太功記』の方は職場で読める。『絵本太功記』は「麒麟がくる」萌え分析には、まったく役立ちそうにないんだけども(笑)。

こうした資料を読んでて気づいたんですが、古文献ではもしかして、「明智光秀」ではなくて「明智十兵衛」という呼称の方が多く使われている?? 

たとえば『信長記』では、「明智十兵衛尉」が6例、「明智十兵衛尉光秀」が2例、「光秀」が3例という頻出具合。もっとも多い呼称は、「惟任日向守」で15例。次いで「惟任」が8例。「明智日向守」と「惟任日向守光秀」、それに「日向守」がそれぞれ2例ずつ。

「十兵衛」という呼称の方が多い、とまでは言えないか、微妙だな。他の古文献も調べてみないと。

麒麟がくる」で、光秀を十兵衛という通称で呼ぶ頻度が高かったことについて、ちょびっと調べてみよっかなと。巷に散見する、「十兵衛と呼ぶことで架空性を加えた」という意見の検証(笑)。

ところで、続編かスピンオフか、ともかく再びの「麒麟がくる」製作を夢見る際に、私は個人的に、長谷川光秀(天海)を主人公としたドラマが観たいので、これまた巷で言われているところの、

細川ガラシャのドラマで長谷川光秀(天海)のカメオ出演という案には絶対反対です!!

絶対、嫌です!!

これだけは、はっきり宣言しとく。でないと、いかにもNHK好みの優等生女優(マイナス評ではないです)を主役に据えた保守的ドメスティックな細川ガラシャのドラマという案、絶対安易に企画しそうだもんvv 「(異性)恋愛、スイートホーム、好きでしょ?」とか勘違いスタッフが大量発生して(爆)。

そうじゃないんだ! 私は(あくまで個人的に、だが)、「麒麟がくる」で描かれた明智十兵衛光秀の人生を観たいんだ! 間違わないでほしいのだ!

そういうわけで、本当は「どうする家康」での長谷川光秀の天海としての出演という案も、五百歩譲って肯定するという態度を取らざるを得ないのでアリマス。ごめんちゃ。でもまあ、細川ガラシャよりは「どうする家康」での出演の方が、まだマシですがね。

そういや、光秀=天海説だと、この細川ガラシャの壮絶な最期について、ドラマ的に説明がつかないという意見が、やっぱり巷でちらほら見かけますが、どうして?? 私は逆に、ドラマ的にはまことにうまく説明がつくと思うがな??

だって、光秀は天海となって家康の補佐に就き、麒麟を呼ぶために関が原を起こすことも止むを得ないと考えたとするでしょ。そうしたら、天海は光秀だと知っている(ものと設定する)ガラシャは、父の理想の世を実現するために(家康に関が原で勝たせるために)、きっと我が身を犠牲にするんじゃないかしらん。光秀はガラシャを無事に脱出させるべく、たとえば菊丸なんぞを細川邸へ差し向けるのだけれども、時既に遅しか、或いはガラシャが父の助けを拒むか、そういう形で語ればたぶん大丈夫だと思うんだが、どんなもんでしょうか?

私は何をこんなに熱く語っているのでしょうか?(笑)

ともかくも、言いたいことはただ一つ――続編を作るなら、長谷川光秀、十兵衛様が主役というセオリーは絶対不可侵でお願いします///

なんて、麒麟一色の最近のココですが(笑)、ちゃんと「T-34」もSWも萌えは続行してますので、ご安心ください(?)。昨日は、『ヒットラー・ユーゲント』の下巻の続きを読んでたし。

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ドイツの軍人達が、敵側の兵としての黒人部隊に戦場で遭遇して、大変なショックと心底からの恐怖を受けるというくだりがありましてね。ボーア戦争史でも言及されることですが、戦場という非日常の現場であってさえ拭いさることができない人種差別構造とその心理。たいへん興味深い。