新新・たまんにっき

文学と洋画、アニメ、漫画に萌えるインテリア大好き乙女の気まぐれ日記

「麒麟がくる」最終回感想、第二弾! & 秀吉×光秀のみならず伊達×天海まで

麒麟がくる」最終回の視聴率が18.4%で(瞬間最高視聴率は21%だそうで)、素晴らしい成績、よかったね! 結果的に、本能寺の変を最終回に持ってきた構成は正しかったよ。おかげでNHKも、スピンオフ(個人的には補遺という言い方が適切な気がするが)製作にむけて前向きになったようだし、なんならスピンオフというより、ほんと続編でお願いしたいわ/// 巷の言う「どうする天海」でもいいけどさ(笑)。

それでは、「麒麟がくる」感想の第二弾をいきたいと思います!(ガッツ)

私は、続編は光秀=天海説を推す者ですが、この説でいく場合、問題点が大きく2点挙げられるわけだよね?

(1)家康の伊賀越えをどう説明するか。

(2)光秀の決起後、細川をはじめ、諸大名がなぜ彼の援護をしなかったか。

麒麟がくる」で描かれた光秀が、たいへん高潔で人徳のある人物像になっていたから、上記2点の説明がうまくいかないとみなされているわけです。

そこで、私は考えた! こういうふうに設定したら、上記2点の問題は解決するのではなかろうかと。

まず(1)について。これは先日もココで見解を述べましたが、「麒麟がくる」では、家康は光秀軍を怖れて脱出したのではなくて、秀吉軍から逃れたのだと見做す説です。菊丸から光秀の意を告げられた家康は、山崎で敗れ敗走する光秀軍を迎え、ひそかに光秀を救う。この時、既に光秀は重傷を負って瀕死の状態で意識不明。明智家臣団は、家康に光秀のことを頼み、殿の無事な脱出を図るため、自分達が楯となって秀吉軍を迎え撃つのです。たぶん、家臣団のうちの誰かが光秀の甲冑を着て身代わりとなったのでは。

家臣達の隊から引き離される間際、朦朧とした光秀の目に映った輝く麒麟。それはまるでシシガミさまのように(笑)、光秀の致命傷を癒し、死を覚悟していた光秀に生きる道を選ばせるために現れたのですよ! それがあのOPの麒麟ですよ!

光秀を猛追してくる秀吉軍を、明智家臣団が決死の楯となって防いでいる間に、重傷の光秀を抱えて家康軍は伊賀越えをするのです。

うむ。これで、伊賀越えの問題は解決できると思うのですが、いかがでしょうか?

次に(2)について。こちらは史実どおりに解釈するなら、光秀の真意は理解できても、主人討ちという大義の無い戦に味方することは、転じて自らの立場を危うくするという保身の洞察によるものとなるでしょう。それでもいいのだが、「麒麟がくる」の場合は、光秀の人柄から推して、何となくしっくりこないのも事実。そこで、以下のような解釈はどうでしょうか。

すなわち、実は徳川も細川も本能寺の変のあることを前もってわかっていた。その上で、事を為し終えた後、秀吉軍から逃げ行く光秀を暗黙の了解で守り通した、というのは? 徳川の場合は、(1)の解答と同じ。細川の場合は、徳川が光秀の脱出行を助けることを知っていたけれど、秀吉には告げず黙っていたということになります。つまりは、細川は日和見で両天秤かけていたとうわけになりますが、まあ、細川家は代々そうやって家系を繋いできたからね(爆)。

どんなもんでしょうか、このような解釈は? なんとかイケそう? やっぱ苦しい?(笑) ともあれ、もしかしたらこうだったんではとも思わせる、「麒麟がくる」のドラマ構成でしたネ。

ところで、その秀吉なんですが、鉄板の「信長×光秀」、二番手の「家康×光秀」に次いで、「秀吉×光秀」も私はいけるんではないかと考えているのですよ~♪ だってさあ、

佐々木秀吉の「明智様」という呼び方、なんかエロくない?vv

敬称呼びなんですよ。そりゃ当然で、身分からいえば当時の光秀と秀吉は雲泥の差なわけですが、なんとも、この「明智様」という呼び方が、あの腹黒い佐々木秀吉の口から発せられると、「そのうち下剋上してやるぜ、オラオラオラ」という欲望ギラギラを匂わせて、たいへんエロいでございますです、はい///

麒麟がくる】十兵衛の幕府の衣装めっちゃカッコよくない ...

終盤に入ってからの、この端正で渋みが加わり始め、色気マシマシになった長谷川光秀に対して、下剋上を狙ってギラギラの佐々木秀吉が「明智様」と呼ぶ時、その呼び方の底意には、佐々木秀吉が長谷川光秀に抱いている憧憬と欲望とがこき混ぜられている気がするんですがね~~///(激萌) 

狡猾な佐々木秀吉は当然、染谷信長が長谷川光秀を溺愛していることに気づいていたでしょうから、「そんな澄まし顔をしてはいらっしゃるが、明智様、あなたと上様の関係はワシはとっくのとうに知っておりましたぞ」とかナントカカントカvvv 下剋上の究極の手段は、倒した上司の愛人を自分のものにすることなのだから、とかナントカカントカ考えると、萌ええええええ////と、なるわけです、ハイ(笑)。

はい、薄い本、いっちょう上がり☆

ってなわけで。いやあ、いいですなあ、総受けは~♪ 次から次へとネタはつきませぬぞ~♪

でもって、光秀=天海説への伏線として、小早川の他に、巷では最終回の長谷川光秀の背景のデッカイ三日月が注目されておりますが――

1月31日 麒麟がくるで『本能寺の変』が話題に!(30ページ目 ...

もしこの三日月が本当に天海の兜の前立てを暗示するものならば、本能寺の変以降、もう一人有名な三日月の前立ての武将が登場しますよね? そう、もちろん、奥州筆頭伊達政宗です。

んで、伊達政宗は「遅れてきた英雄」として、織田信長を彷彿させる人物と言われるこもある武将。もし天海となった長谷川光秀が、この伊達政宗と対峙する場面があったとしたら――

なんと、信長様によく似ている・・・!

と、思ってしまうのではないでしょうか!? そして、似ているからこそ、この奥州筆頭の油断ならない野心を洞察して、家康に忠告するのではないでしょうか? しかし、伊達を遠ざけるという提案というよりは、味方にしてうまく手なづけておくべきといった提言ではないかと。

そして、伊達政宗はあわよくば天下を狙ってしまえと思っているのだが、家康の傍にいる光秀=天海に、ことごとくその野望を見抜かれてしまい、「あのクソ坊主、何者だ?」と地団太踏むという/// そんな二人の間に、やがて友情が芽生えてきて・・・とかナントカカントカ、おおっ、すごいぞ「続・麒麟がくる」妄想!!

ついに遥か遠く、伊達×天海まで視野に入ってきたあああ!!(爆裂)

・・・大丈夫かな、私のオツム?? ←とっくにダメだべvv